私は美津子さんが出会った聖霊の白いハトを通して、本当に生きる者となりました。でも長いこと、私には白いハトが分かりませんでした。「美津子さんと主の出会い」としか思っていませんでした。全てのものを主の愛に喜び生きるものとする、そんな力のある白いハトを、私は天のさんびを通して初めて知りました。
2000年、与えられ始めたばかりの天のさんびを歌ってビックリしました。体に伝わってくる不思議な振動がある。このさんびには何かある、と心を惹かれました。
その頃の私は、寝たきりに近い状態でした。さまざまな体調不良が起こり、原因は分からず、治療法もありませんでした。病院では「あなたは健康です」と言われるばかり。そんな時の天のさんびとの出会い、これは自分の最後の希望でした。
約一年が過ぎた頃、ある夜、突然、「愛されている!」という、自分の思いなのに外側から私の体を撃ったとしか言いようのない何かが飛び込んで、ぐるぐるぐるぐる走り回り始めました。私はもう何が起こったか分からず、ただただ「私は愛されていたんだ! キリストの十字架は私のためだった!」という叫びが飛び出し、同時に深く激しいよろこびが突き上げて、私は声を出して泣くことしかできませんでした。しばらくして我に返ってみると、それまで私の存在の重心部分にあった「私は絶対に誰からも、神様からも愛されない」という頑なな思いがなくなって、代わりに「イエス様に愛されている!」という思いというか真理が、私の存在の土台になっていました。美津子さんに語られたこんなときあかしがあります。
わたしの信仰のいしずえは白いハトです (1987年12月3日)
あぁ、「いしずえ」っていうのはこのことなんだ、と思いました。自分の存在の土台。私の内側に飛び込んできてキリストの愛を知らせたのは、白いハトだったのだ。白いハトという「いしずえ」が据えられた時、私は本当の意味で生きる者となった。本当の意味で生きるとは、私自身が「生きている!」と実感できる生だと最初は思いました。今思うとそれは、自分の内側がキリスト中心になることだと思いました。
「宇宙に還流するいのちがあり、その源泉はキリストだ」(白いハト1巻174頁)、このいのちとハーモニーすること、ひびき合うこと。それがすべての被造物にとって(一つ一つ違っているのに)生きることなのだと思えます。そのように造られているからなのでしょう。
「私は愛されない」という思い込みで塗り固めた私の内に、白いハトが飛び込む衝撃はすごいものでした。今振り返ってみると、その衝撃の余韻というかひびきが、私に留まり広がり続け、自分が意識することもなかった深い傷や、いまだにキリストの方を向こうとしないもの(自分が気づかないもの全部)とひびき合って一つにされていっていると感じます。それがキリストのいやしだと思います。
その時から、私の体はものすごい勢いでいやされ始め、あっという間に他の人と一緒に元気いっぱい働けるようになりました。ここ数年は出会う人たちから「あんたいつも元気やねぇ」と言われるほどになりました。
そして、私が受けたいやしは、私の体だけに留まらず、内側にも及びました。いやされた後も「主からは愛されてるけど、人からは無理だわー」と少なからず思っていたのですが、たとえ私が万人に忌み嫌われたとしても、主に愛されていると知ることで、その私の足りないところが、変わるのではなく、開き直るのでもなく、そのままで補われていくと知ったのです。
自分で自分を良くしようと思っても絶対にできません。でもそれができないと知り、主に祈るようになると、自分は変わらないのに、例えば、周りの状況に助けられて私のマイナスが人に刺さらないようにして下さるなど、いろんなことが整えられていくのを見ます。対・主だけでなく、対・人にも、主の平和が成る。
同じことが、世界の平和のためにも願われているのかも知れないなと思います。国という人の集まり、あるいは平和を作ろうとする何かの団体でも、それが人である限り、本当の平和、和解は作れません。でも白いハトのひびきがすべてのもの、国に、団体に、町に、民族に、人に、歴史にも未来にも届き、浸透して行く時、初めて世界に本当の平和と、和解が成るのだと信じます。すべてのものがキリストにあって一つになり、キリストを礼拝する。これが白いハトの願いだと信じます。