被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。 (ローマ八・一九 新改訳)
私は、子羊の群れに呼ばれる前から、このみことばが気になって仕方がありませんでした。社会派の教会に属していたので、公害や環境汚染の恐怖を学んでいました。だから、世界の先進国が傲慢になって行き、その被害を自然や貧しい国々が被っているのを見て、「本当にごめんなさい。あなたたちのために戦いたいのだけれど、私たちクリスチャンは無力で何もできないの」と心の中で環境が破壊されていくニュースを見るたびに謝っていました。だから、この聖書箇所を読むたびに、「いつか、被造物を救う神の子たちが現れるんだ」と期待していました。その当時は、まさか私が生きている間に、この神の子たちが現れるとは思っていなかったし、自分がその神の子の中に数えられるなどとは想像もしていませんでした。
2000年1月17日、ハトさんびが降りてきました。クリスチャンが多いと言われている欧米ではなく、クリスチャン業界では「伝道が最も難しい」と言われている日本の国に、それも雪のように静かに降りてきました。その日からハトさんびは、この地に降り続けてくれています。
私は生まれた時から、母に「この子をさんびの器として捧げます」と祈られていたそうです。幼い頃の私の反応は「何で、私の断わりなしに神様に捧げるのか」でした。この話を聞いていい気持ちにはなれませんでした。母は私にピアノを習わせてくれました。教会のオルガニストになってほしかったからだそうです。私は音楽の世界にのめりこみ、音大に行き、将来は音楽で食べて行くつもりでした。
大学を卒業し、仕事をしている時に、海外からプレイズ・ソングがたくさん入ってきました。しょぼい日本の歌謡曲なんかより美しいメロディーで、洗練されたアレンジ。美しいメロディーで神様をさんびしています。その頃から、やっと母に「さんびの器として捧げられた」ことを感謝するようになりました。私はこのさんびの世界が知りたくてアメリカに渡り、多くのクリスチャンのミュージシャンと出会いました。彼らのテクニックやダイナミックさに感動し、自分もその世界で生きようとしました。
しかし、私が挫折した時に私を救ったのはそれらの曲ではなく、純粋で単純な子羊の群れのさんびでした。「神よ」と手を挙げなくとも、叫ばなくとも、つかめるようなさんびを知りました。初め、私の耳はこれらのシンプルなさんびを拒否しました。腹立たしくさえありました。しかし、私の魂が求めていたのは、シンプルなさんびでした。このさんびの中で生きたい、と子羊の群れのスタッフになる決断をしました。
本部実習に入った2000年の1月、風がとっても冷たい日でした。「聖なるかな、アレルヤ」が美津子さんを通してこの地に現れました。今まで、子羊の群れのシンプルなさんびに感動し、泣いていた私ですが、もっとシンプルなハトさんびと出会ってしまいました。私が驚いたのは、このさんびは私の感情の部分に届かないことです。今まで音楽をしてきて、音楽を表現するために「感情を込めて」と言われてきました。音楽に大切な感情を通らない。このさんびは感情を通らずに霊に届いたことが分かりました。私というのは汚い人間なのですが、その人間に天から水が降りてきて、その水が自分を通して天の水のまま流れていくような感覚をおぼえました。
私は「さんびは力だ」と多くのクリスチャンから聞いていましたし、それを見てきたつもりです。さんびの中で人が倒れ、異言を語る。いやされる。たくさん見てきました。しかし、このハトさんびは静かで、「聞きたくない」と耳を塞いでいる人にさえ届くのです。
存在を包むひびきなのだと思いました。さんびの力とは、包んでしまうほどの愛なのだと初めて知りました。私はそれまで、「自分の思いを表現しよう」と一生懸命だった者です。だから、子羊の群れで奏楽を始めた頃、私の奏楽は「耳に付く」
「具合が悪くなる」と言われていました。母が「ダビデがさんびする時にはね、悪霊に悩まされていたサウル王から霊が出て行き、サウルは平安になったのよ。そのようなさんびの器になってほしい」と言っていたのですが、私が弾くと頭が痛くなる人が出るなんて、もうこの群れではさんびはできないと思っていました。
そんな時に、主は天から「ハトさんび」を送って下さった。「私が捧げよう!」と私は努力してきました。しかし、私の努力はこの純粋なハトさんびには通用しなかったのです。
ハトさんびをさんびしていくうちに、私にはあり得ないことが起こったことを知りました。私は、人一倍憎々しい人間です。隣の人が90年生きるのなら、私は91年生きたい。やりたいこと、見たいことがたくさんある。主が99歳と私の寿命を定めても、99歳と1日生きたい人間です。そんな私が、皆でさんびしていた時、「今、ここで命がとられても本望だ!」と歓喜していました。自分で、自分の心が叫んでいるのを聞き、驚いてしまいました。
歓喜しているのは私たち人間だけではなかったのです。それを知ったのは応答歌でした。「すまいの幕を張り広げよ」の応答歌が初めて芦屋教会でさんびされた時です。幸ちゃん(スタッフの渋田
幸さん)のソロが終わり、会衆が「アーメン、主よ、そのごとくなりますように」とさんびした時、ものすごいエネルギーを感じました。よろこびのエネルギーなのでしょうね。私は奏楽をしていたのですが、そのエネルギーの大きさにひっくり返りそうになりました。すぐに「被造物が大喜びしている」と分かりました。破壊された地が、排気ガスまみれの木々が、汚れてしまった海が、壊れてしまったオゾン層が、人間のせいで食物を失ってしまった森の動物達が、温暖化で沈もうとしている島々が「待っていたよ、待っていたよ」と、会衆と共にさんびしているのです。
「神の子達の出現」なのです。私は相変わらず、ニュースや悲しい事件を見るたびに「ごめんね」と心の中で謝っていますが、それだけでは終わりません。「あなたたちのために、さんびするから」と神の子である告白をします。
ハトさんびが降りてきて、私自身も変わりましたが、この地も変わったのだと思います。壊れていくだけのように見えるこの地が、ハトさんびを共にさんびしているのです。
2007年1月16日
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