主を仰ぎ見て光を得よ
望月隆太
(一)

 6月2日に持たれた関東黙示録コンサート、翌三日に持たれた関東合同礼拝に参加するために、久し振りに東京にある実家に泊まりました。しみじみと部屋の天井を見つめて、「この天井に向かって主に叫んだところからすべてが始まったな」と思い返しました。
 僕は十七歳の時に主イエスと出会いました。キリストに出会う前の僕は、自分が何のために生きているのか分かりませんでした。
 僕は、生まれつきの障害(捻転性骨異型成症)を患っています。脊髄が捻じ曲がって成長する病です。
 何故、自分だけ人とは違う身体で生まれたのか分かりませんでした。
 当時、僕は17歳でしたが、高校一年生を落第していました。ちょっとした教師とのトラブルが原因で、中学校二年の時から学校に行くのを止めていました。僕は外交的な登校拒否児でした。家にも居辛く、町を徘徊するようになると同じような仲間ができて、あれよあれよという間に仲間と悪さを繰り返すようになりました。そんな僕を、親は何とか変えようとしていました。両親はクリスチャンなので、僕が朝帰りすると机の上にメモが置いてあって、「あなたが立ち直れるように祈っています」という祈りの言葉が書いてありました。そのメモは、「今のままのあなたじゃダメよ」という言葉にしか聞こえなくて、そんな親心を僕は拒絶していました。そんな親への当て付けもあって、わざと聞こえるように大声で叫んだのです。「神様、あなたが私を造ったということは小さい頃から知っていたけれども、何で僕をみんなと一緒に造ってくれなかったのか! どうして、自分だけこんなふうに造ったのか! イエス様、あなたがいやしとか、奇跡とか起こすのを聖書で読んだけれども、だったら、目の前に現れて自分をいやしてみろ! そうしたら、信じてやる!」
 それから一ヶ月もしない間に、両親が通っていた教会の高等科の先生が電話をくれて「教会に来てみない?」と誘ってくださいました。何でその時に、僕は教会に行く気になったのか分からないのですが、それから教会に行くようになりました。
 当時の僕には、胸のあたりに石の塊があるような異物感がありました。おそらく、恐れや精神的なものだったのだと思いますが、胸に何かが入っているような圧迫感がありました。
 初めて、礼拝の終わりに「主イエス・キリストの恵みと、父なる神の愛と、聖霊との交わりとが一同と共にあるように」という祝祷を聞いた時に、鳥肌が立ちました。礼拝後、フッと気がつくと、それまであった異物感が無くなっていることに気がつきました。「あれはいったい何だったのだろう」という驚きが最初の生ける神との遭遇でした。
 礼拝で無くなった異物感が、その週の水曜日あたりから日を過ごすごとにまた戻ってくるのを感じました。「また礼拝に行くと取れるかもしれない」と思い、礼拝に通うようになりました。とは言っても、僕は夜中に遊び回っていたので、長い礼拝の間、起きていることができませんでした。教会堂の一番後ろに、僕の特等席があり、窓のさんにより掛かって寝ることができたので、その場所に行って熟睡して祝祷だけ聞いて帰って来るということをしていました。おそらくそれが問題になったのでしょうね。ある日、礼拝堂の入口で、強面のおじさんが僕を待ち構えていて「若い者は、前に行ってちゃんと話を聞け」と怒られてしまいました。しぶしぶ前に行くと、二列目の中央の席に案内されました。その席に座った時に、僕は「今日は眠れないな」と諦めて、「今日ぐらい、話を聞こう」と思いました。僕は、生まれて初めて起きていた礼拝の中で、イエス様と出会いました。
 礼拝では「長血の女」(ルカ福音書八章四十三節以下)のメッセージがされていました。
 12年間、婦人科の病を患い、医者のために、お金を使い果たしてしまった女が、イエス様に触れたら治るかもしれないと思い、群衆の中にまぎれてイエス様の衣に触れました。触れるとたちまちいやされました。その時、主イエスは立ち止まり、「誰がわたしに触れたか、力がわたしから出て行くのを感じた」と探し始められました。女は隠し切れないと思い、触ったわけと、触るとたちまちいやされたことを人々の前で話すと、主イエスはその女に向かって、「お前の信仰がお前を救った。安心して行きなさい」とおっしゃられたという記事です。
 難しいことは理解できなかったけれど、牧師の説教で一言だけ心に飛び込んできた言葉がありました。それは「この女は主に触れることしかしていない。しかし、主はこの女の行為を信仰と呼ばれている。だから、イエス様に触れようと思ったら、もうそれは信仰ではないだろうか?」という問いかけのような言葉でした。
 僕は不謹慎にも「触るぐらいなら、俺にもできる。目の前に現れて来たらね」と思いました。そう思った瞬間に幻が現れてきました。それは真っ白に光る衣を着たイエス様の姿でした。手の釘あとがはっきりと分かりました。「あぁ、イエス様だ」と思った時、「お前も、わたしに触れなさい。わたしはお前もいやそう」という言葉が心の中に湧いて来ました。その声を聞いた瞬間に、「目に見えないイエス様に触れるというのは、洗礼を受けることだ」と、何故かそう思いました。その直後から「洗礼を受けたい」という思いが僕から離れなくなってしまいました。
 振り返って見ると、僕は神様の胸ぐらを掴むような思いで怒鳴ったし、天に向かって唾を吐いたけど、天に向かって吐いた唾は、そのまま僕に落ちては来ませんでした。主は、そんな僕の姿を信仰として受け取ってくださって、僕の前に現れてくださったのだと思います。そして、僕は主を信じる者となり、洗礼を受けました。

(二)

 洗礼を受けて、主に出会ったけれども、落第したという事実は変わりませんでした。中学から私立の学校に入りました。生徒は皆、エスカレーター式に高校に入学します。僕は高校一年の時に落第しました。落第してしまうと後輩が同級生となるので、その中になかなか入って行けませんでした。自分の掘ってしまった穴のでかさに、どうしてよいのか分かりませんでした。「このままではいけない」と思いながらも学校にも行けず、悶々としていました。
 そんなある日、黒柳 朝さん(僕の母親の叔母にあたる)が、「けったいな牧師に会って来た」と言ってアメリカから帰って来ました。朝さんは「フィラデルフィアに島田先生という牧師さんがいるのよ。たまたま世間話のついでにあなたの話をしたら、その先生は、『そんな子ならば、こっちに来れば良い』と言ってくださったの。今までいろんな人にあなたのことを相談したけれども、『あそこによさそうなところがある』とか言う人はいたけれど『ここに来れば良い』と言ってくださった人に初めて出会ったわ」と言って喜んで話してくれました。
 僕は「まだチャンスがある。道がある」という話が来ること自体嬉しかったけれど、「ここに来て良いと、言ってくださって嬉しいですが、とてもではないけど今の状態ではアメリカへは行けません」とピーター先生に手紙を書きました。すると先生から返事が返ってきました。その手紙は、いきなり本文から始まっていました。
 「隆太君、信仰とは賭けだ。愛の神様が、君をアメリカに呼んでいると0.01%思うならば、その0.01%に賭けよ」と書いてありました。当時、競馬を覚えたての僕には、この「賭け」という言葉がよく分かりました。
 「賭けかぁ。なるほど」と思いました。僕は部屋にあった竹刀を立てて、真剣に祈りました。「イエス様、右に倒れたら、アメリカに行きます。左に倒れたら、行きません」目を瞑って祈り、竹刀から手を離すと右に倒れました。「まさか」と思いながら、もう一度試すとやはり右に倒れました。段々恐ろしくなって来たのですが、何度も右に倒れる竹刀を見つめながら、「あぁ、愛されているということを知りたいな」と思いました。落第を繰り返していた頃、余りにも上手くいかないので、「自分の存在を消してしまいたい」と思っていたけれど、「神に愛されていることを確かめてみたい。死ぬのはその後でいいな」と思いました。神に愛されているという方に賭けて、アメリカ行きを決断しました。
 フィラデルフィア空港に迎えに来てくれたピーター先生は、Tシャツに短パン姿で草履を履いていました。今までの牧師のイメージを見事に覆してくれる出会いでした。「隆太、よく来た。よく来た」と言って迎えてくださいました。その頃ピーター先生が住んでいた家には、僕の他にも何人かが居候していて、その内の一人が、「僕が行っている短大には、カンボジアの人がいる。学歴の無い彼らが、短大に入れるなら、学歴の無い隆太も短大に入れるかもしれない」と言いました。ピーター先生は「面白い」と言って短大に交渉しに行ってくれました。そして僕の行ったペンシルヴァニア州だけに、独特の制度があることが分かりました。高校を卒業していない者でも、大学が受け入れ、入学を許可し、大学で三十単位を取得できれば、高校卒業の認可を与えるというものでした。
 僕は最初、英語学校に行っていました。そのクラスがそろそろ終了になろうとしていた頃、ピーター先生にいきなり「隆太、お前が行くところが決まったぞ」と言われました。「はぁ、どこ?」と聞くと、「短大だ」という返事です。それを聞いた途端に、僕は日本を旅立つ時、兄に「バカだなぁ、日本語で授業を受けて単位が取れない奴が、英語でやられて取れるわけ無いだろう‥‥。まぁ、がんばってこいや」と言われた言葉を思い出しました。「まずいなぁ、とんでもないことになったぞ」と思ったのですが、周りの人たちは「道が開かれたぁ」と盛り上がっているし、引くに引けない状況でした。
 一人になって祈っている時に「もし、神様が愛だとしたら、ここまで呼んで、僕があがいてもダメな場所に導かないだろう。一度、賭けたのだから、やれるところまではあがいてみよう」と思いました。そうして僕はフィラデルフィアの郊外にある小さな全寮制の短大に入学することになりました。
 キャンパスでの生活が始まりました。英語が分からなかったのであがきました。中学二年の時からぐれてしまった僕は、本当に英語が分かりませんでした。ひどい英語力だったのですが、言葉も神様が助けてくださいました。
 一年経って、短大の事務局から、「君は三十単位を取得できた。今日から正規の学生として希望すればどこにでも転校できる」と伝えられました。「高校卒業の認定書を取り寄せますか」と聞かれた時に、僕は初めて自分の身に起こったことを把握しました。
 ただ主を信じてアメリカに渡っただけなのに、落第したという穴は完全に無くなってしまいました。
 この出来事は、僕にとっては、神様が「お前を本気で造ったよ。生きていて欲しい。お前が生きていることはわたしの願いなのだよ」と言ってくださったことに他なりません。初めて自分が神に愛されていることを実感することができました。このことを通して、僕は神様が本気で僕を造ったこと、僕は愛されるために生まれたことを知りました。
 僕は愛されるために生まれた。主は、生きていてもいなくてもどうでもよい人間を造るほど、いい加減な神ではないことを知りました。僕が生まれる前に主イエスは十字架に架かってくださった。だから、すべての人がこのように愛されていることを信じることができます。造られたすべての人には、一人一人に託された神の愛の願いがある。主はすべての人に、「生きていて欲しい」と願っておられる。「わたしは十字架に架かるほど、お前を愛している。わたしがお前の代わりに滅んでも構わないから、お前には生きていて欲しい。滅ぶのはわたし一人で十分だ」と言ってくださいます。

(三)

 フィラデルフィアの教会で、僕は聖霊を知りました。洗礼を受けた教会は、いやしや奇跡を歓迎しない教会だったので、聖書に書いてあるように、聖霊に満たされる体験や、聖霊が人の内に生きて、具体的に働いてくださることを初めて知りました。具体的に祈ると主が答えてくださることもフィラデルフィアの教会生活を通して知りました。
 約三年間、アメリカで生活し、その後、洗礼を受けた教会の牧師の勧めもあり、日本の神学校に編入するために帰国しました。日本に帰ると、困った人から相談を受けたり、病気の人に出会ったりすると手を置いて祈るようになりました。祈ると主は答えてくださり、慰めやいやしを注いでくださいました。
 洗礼を受けた教会に戻り、神学生として生活している内に、「白いハト」のうわさを聞き、ピーター先生が何回目かの日本伝道に来ている時に、僕は初めて美津子さんに出会いました。祈って、人が倒れていやされることを知ると、僕は好奇心が抑えられなくなりました。すぐに、教会の若者が実験台になり、次々と祈ることとなりました。
しかし、僕のいた前の教会は、いやしや奇跡を歓迎せずむしろ危険視していたので、「望月君が若者を集めていかがわしい集会をしている」と問題になりました。
 その頃、まだ子羊の群れは今のようなかたちにはなっていませんでした。
 時を同じくして、僕は休みだった月曜日にピーター先生の紹介で、ある方のお家をお借りして、家庭集会を始めました。しばらくすると、集会に来た人達が次々と集会を始めました。これが僕の子羊の群れとの出会いの原点です。
 前の教会や神学校では批判され、迫害が日に日に増し加わりましたが、子羊の群れの集会はそれをいやして余りあるほど、主のいのちの流れと臨在が満ちていました。集会の度ごとに、「主は生きておられる。主は生きてここで働いておられる」という感動の連続でした。本当に楽しかった。僕は主のいのちに飢え渇いていたから、あの頃の集会で触れた臨在や、数々の奇跡は特別なものでした。
 僕はいやしや奇跡を否定することができませんでした。見たもの、触れたものを否定することはできませんでした。「深いところで嘘をついて牧師にはなれない。聖書が嘘だったら僕は生きていけない」と思いました。そして教会と神学校を出ることになるのですが、主は「お前にはわたしが用意している場所がある」と語ってくださいました。僕はすぐに、それが子羊の群れであると分かりました。
ちょうど子羊の群れの研修セミナーがニュージャージーで始まると知り、研修を受けて、働き人となりました。導かれた子羊の群れは、聖書をそのまま信じて良い場所でした。「聖書をそのまま信じて良い」 今では当たり前のようにしていますが、この群れが与えてくれた自由はいやしそのものでした。水を得た魚のように、生きる環境が与えられた喜びで一杯でした。

(四)

 子羊の群れで働き人となり、今日に至りますが、今から七年ぐらい前から、体調が悪くなりました。微熱が下がらなくなり、それでも無理をしてがんばっていたのですが、ついに本当に動けなくなってしまいました。しばらくの間、働き人を休むこととなりました。休んでいる間に、障害者手帳を申請することにしました。そのために、前に行った岐阜の病院で書類を書いていただくこととなりました。中学生の頃、僕を診断した医者が、ぽつりと「こうして生きて会えるとは、あの頃は思っていなかったよ。よほど運が良いんだね。ここまで生きた症例はめったにないから‥‥」と言いました。もう一人の医師が「これだけ脊髄に変形があるということは、いつ何が起こっても不思議ではありません。そのことを知っておいてください。これだけの変形があるのだから、人の二倍は疲れやすいと思ってください」と言われました。僕はその時に、本当に自分は普通になろうとして無理をしていたと思いました。ありのままの自分を受け入れることは本当に難しいことです。でも、その医者の言葉を聞いて、何かが吹っ切れるように思えました。その時、ありのまま生きようと思いました。障害者である自分がありのまま生きる、それで良いと思えました。
 2006年「和解の年」になって事務局からスタッフが、僕を尋ねて来てくれました。僕はその時に医者に告げられた自分の現状を伝えました。その時は「祈っているね」と言われて別れたのですが、数日後、「そのままでいいから、働き人として帰ってこないか?」と思いがけない言葉を聞きました。本当にこの新しい招きは嬉しかったです。現状では働き人に戻れないと思っていましたから、一瞬にして、泥沼から岩の上に移されたような驚きを覚えました。
 今も体調は戻ってはいません。ちょっと動くと微熱は上がり、動けなくなってしまいます。でも、ありのままの自分が働くことが赦されたことは本当に本当に喜びであり奇跡です。主は新しい歌を僕の唇に授けてくださいました。泥沼のような荒野を歩んだけど、主が僕を引き上げて光の中に招いてくださいました。
 僕は「たけのこのアレルヤ」のさんびが大好きです。特に「光がいっぱい、いっぱい溢れてる」という言葉が大好きです。主は本当に優しい。「出てこないと、掘り起こして、茹でて食べちゃうぞ」と言うのではなく、出てくることに不安を抱えている土の中のたけのこに優しく「出ておいで」と言ってくださる。そして、土から芽を出すと、たけのこは物凄い勢いで成長します。あれよ、あれよという間に、背を伸ばし竹となっていきます。主はたけのこが育つことを誰よりも知り、信じてくださいます。土の中のたけのこに注がれる主イエスの温かい眼差しが嬉しいです。だから、今引きこもって土の中にいる人たち、誰も私を分かってくれないと思って、暗闇や孤独感を感じている人たちにも、同じ眼差しが注がれていると信じます。そして、このさんびが歌われる時に、自分の殻から出て来られなくなってしまっている人たちにも、「光がいっぱい、溢れているから出ておいで」という主イエスの声が、響きとなって届くと信じます。
 子供さんびCDを聞くたびに僕は泣かされています。子供たちが、与えられたさんびを、与えられた信仰を持って歌っている姿に、さんびの原点を改めて教えてもらったような思いがします。さんびが力であることがこのCDから伝わってきます。ありのままの私たちが、与えられたさんびを信仰を持って歌う時に、主の力は流れるのだと信じます。
 黙示録コンサートの最後に「贖いの愛が流れる、愛の時が来た」とピーター先生は祈り、宣言しました。僕はそれを聞いて震えました。確かに今も主の贖いの愛が流れているのを見ているけれども、「今よりも、遥かに大きな愛の流れを見る」と語られたように思いました。本当に見たい。贖いの愛が大河のごとく、砂漠となったこの地に流れるのを見たい。枯れてうなだれていた花が水を得て、光に向かって顔をあげるように、傷つき希望を失いうなだれている人々が、主を仰ぎ見て光を得る様を、からからに渇いている人々が命の水を得て、ありのままに生き生きと生かされて行く様を見たいと思います。今まで見たことも無いような贖いの愛の大河が流れ、造られたすべてのものが、造り主の願いのままに咲き誇るのを見たい。これが、僕に与えられた新しい召命なのだと思いました。

主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。 (詩篇 三四・五―八)

 主よ、あなたが子羊の群れを通して語ってくださった愛の約束を成し遂げてください。
 「今までは感じてきただけであろう。しかし、これからはわたしを見るのである」と語ってくださいました。
 風の教会に与えられた愛の約束がことごとく成りますように。

2007年6月20日


(c)Kohitsuji no Mure Christ Curch