さんびでいやされて
田中 由美子
 「子羊の群れ」を知ったのは、2000年の9月頃だったと思います。ご近所の方の車に乗せていただいた時、美しい曲が流れていました。余りにも美しいので「このCDはどこのお店で売っているんですか」と聞くと「お店では売っていないの。これは『子羊の群れ』という教会で作っているの」と言われます。「じゃ、専門家の方がいるんですか?」とお尋ねすると「歌う人もCDを作る人も、みんな素人なんですよ」と言われ、頭が混乱しました。そういうものは、専門家が作るものだと思っていたのです。
 その時、その方が「子羊の群れ」について話してくれましたが、今覚えているのは「子羊の群れでは神様と自分との関係だけ。牧師さんだってその間に入ることはできないのよ」ということだけです。それを聞いた時、「あぁ、生きている神様がいる。本当の神様がいる。やっと出会えた、やっと神様と出会えた。本当の神様がここにいる!」と感動しました。
 なぜそう思ったかというと、かつて私はある教会に行き始めた時、牧師に自分と神様の間に土足で入られたように感じて、とても傷ついたことがあったのです。それで、洗礼を受けたそのあくる日から行かなくなりました。けれども心のどこかで神様から離れてしまった寂しい気持ちを引きずっていました。だから「子羊の群れ」のことを聞いた時、「やっと神様の所に戻れる。自分の探していたものがやっと見つかった!」と思いました。
 その頃、私の娘は結婚して子供も産まれたばかりなのに夫が癌となり、とても疲れ果てていました。ですからこのよろこびを初めに娘に伝えたいと思って娘の家へ駆けつけました。娘に「子羊の群れ」の話をすると、涙を流して「お母さん、私信じたい」と言いました。娘も当時通っていた教会の人間関係でとても傷ついていたので、もう本当に二人でよろこび合いました。
 それから(CDに入っていた曲は「黙示録のさんび」だと後で聞いたのですが)、そのCDを聞かなくては毎日過ごせないようになっていました。寝る時もずーっとかけっぱなしです。それが夜中に止まると、当時まだ二歳だった孫のきららがむくっと起きて「CDかけて」と言うんです。本当にびっくりしました。
 きららもそのさんびでいやされていたのです。私達はさんびを聞く度に涙を流していました。食べる時も、遊ぶ時も、車に乗っている時も、話をする時も、寝る時も、お風呂に入る時でさえ、テープレコーダーを持っていって聞いていました。さんびがなくては生きていけなかったのです。私も娘も本当に深く深く傷ついていたのが、さんびでどんどんどんどん、いやされていったのだと思います。
 その頃、私の家庭はもう壊れる寸前でした。息子は北海道の大学に行っていたのですが、いつも「死にたい、死にたい」と言っていたのです。私は心配で、度々北海道まで出掛け、息子と一週間ぐらい暮らしてから我が家へ戻ったりしていました。また、癌の夫と赤ん坊を抱えていた娘を手伝いに行ってやったりもしました。当時、私は仕事を持ちながら自宅のある知多半島、娘の住んでいる名古屋、北海道の息子、父の死後、岐阜に一人で住んでいる母の間を、根無し草みたいにぐるぐる回っている毎日でした。
 借金はあっても貯金はなく、その上仕送りもしなければならず、お金にも大変困っていました。弟に私の名前だけ貸したら、私の名前で請求書がどんどん来るようになってしまい、ただもう私は家族のために動いているという状況で、疲れ果てて自分というものがなくなっていました。その上、主人ともうまくいっておらず寂しい思いをしていました。体もずたずた、心も精神もずたずた、何のために生きているのか分からず、あえぎながら重い重い鉛を足に付けて生きているような状態でした。だから、主に出会ってどんなに救われたことか。さんびによってどんどんいやされてゆく自分を感じていました。
 2001年に静岡の掛川で、子羊の群れのリトリートが行われました。その時は私一人で参加しました。リトリートのいやし礼拝の日に、娘から「きららが入院したから帰ってきて」と携帯に電話がありました。私の返事がモタモタしていたので、娘は「お母さん、きららが入院したのによくそこにいられるね。もういい!」と言って電話を切ってしまいました。それを一緒に参加していた方に相談しました。すると「主を第一にしたらすべて整えられるから、主を第一にしてここにとどまっていたら」と言われました。「主を第一にする、そうだ、主に賭けよう」と思い、そのままとどまりました。
 リトリートで私は初めて、再洗礼というものがあることを知りました。以前の教会で受けた洗礼では全くよろこびがなく、「洗礼を受けた」という実感もありませんでしたので、ぜひ受けたいと思い申し込みました。礼拝後の祈りが始まり、自分の番が近づいて来ると、私の胸は自分の気持ちとは関係なく、バクバクと飛び出さんばかりに高鳴って息ができないほどでした。何だろう、この高鳴りは?
名前が呼ばれ前に立った時、ピーター先生が「『イエス・キリストを信じます』と言って下さい」と耳元で言われ、自分の口で「イエス・キリストを信じます」と言いました。ピーター先生が私の頭に水をかけ、おでこの所に手を当てるか当てないかのうちに、私は力が抜けてストーンと倒れてしまい、わんわん泣きました。恥ずかしくて止めたいのですが止めることができず、ピーター先生の声も美津子さんの声も全く聞こえませんでした。体全身が震え、声を出して、おいおい泣きました。起きあがってからも舞台の裾の所で泣き続けていました。それから何だかスッキリしました。後から人に聞いたのですが、美津子さんは私を祈って下さった時、「今まで一人で重荷を負っていたが、これからは重荷をイエス様が負って下さる」というようなことを言って下さったそうです。「私一人ががんばらなければ家庭はダメになる、子供はダメになってしまう」とただただそれを思って生きてきました。それを主はご存じだった、主はすべてをご存じだった。私を助けて下さった。それを知っていて下さった。こんな私を抱きしめて下さったのです。私はすごく嬉しかった。
 洗礼を受けた夜のことです。リトリートでは五人部屋に泊まっていましたが、皆さんが横になったので私もベッドに入りました。部屋の中は電気が消され、カーテンもしまっていましたから真っ暗でした。けれど私の足元に、誰かが立っているような気がしたのです。「みんな寝ているはずなのに変だな」と思って体を半分起こしました。すると私の足元にイエス様が立っておられました。私はド近眼で顔が見える訳がないのに、とっても優しい眼差しと何とも言えないほほえみで私を見ておられるのがハッキリ見えたのです。「良かったね」とよろこんでおられる、愛に満ちたほほえみでした。私も思わずにっこりとほほえみました。
 自分でも驚いたのですが、その時私は急に息を大きく吸ったかと思うと、すごく長い息を吐いたのです。今してみようと思っても、絶対できないほど長い息でした。吐いて吐いて吐き切ったのです。すべての重荷をその息と共に吐き出した感じでした。私はそれまで多くの問題を負っていて、周りから「何でTさんは次から次から悪いことばかり起こるの」と言われるぐらい、たくさんの不幸が起こっていました。そんな不幸のすべてをその息と共に吐き出したのでしょうか、とても軽くなりました。それまで私は寝ている時に息が苦しくなって飛び起きたり、家の中では息ができなくて、玄関を開けて飛び出して息を吸ったり、それでも息が吸えなくてのたうちまわり、熟睡したことがなかったのです。ところがその息を吐いた後、十四年ぶりにぐっすりと眠ることができたのです。
 目が覚めると、同じ部屋の方が「田中さんの顔が変わっている。田中さんの顔を見ると何だか笑えてくる」と言われます。私がとても嬉しそうな顔をしているので、話をしていても笑えてくるというのです。私に大きな変化が現れていたのです。
 リトリートが終わると娘の家に真っ先に向かいました。孫のきららのことが心配だったからです。娘に怒鳴られると思い、恐る恐る娘の家のドアを開けると、「お母さん、子供みたいな顔をしている」 それが娘の第一声でした。リトリート中に私にかけた電話のことを、娘は友達にこう言っていたそうです。「『お母さん帰ってきてよ』と電話して、もしお母さんが帰ってきたら、お母さんの信仰は大したことないな」と。私はそれを聞いて、娘がそんなことを思っていたことに本当にびっくりしました。全然知らなかったけど帰らなくてよかった、主を第一にしてよかったと思いました。きららはすぐに退院しましたから、主が働いて下さるって本当にすごいな、と思いました。
 それから大変なことが起こりました。癌を患っていた娘の夫が亡くなったのです。きららが三歳になった誕生日の六日後でした。娘の夫の家は仏教で、身内にお寺のお坊さんがいましたから、「仏教で葬式をあげたくないけれど、そうすると言われたらどうしよう」と娘と話していました。その時もさんびをずっと聞いていないと、とてもいたたまれない状態で、娘も私も本当にさんびにすがっていました。いろいろありましたが、子羊の群れで葬儀ができることになりました、これも主の計らいだと思い、嬉しかったです。
 娘の夫の死後、半年経ってから保険金がおりたのですが、娘は「このお金でどうやって子供を育てて行けばいいのか。こんな金額では足りない」と毎日の様に言って泣いていました。
 2002年の8月のリトリートに、私は娘親子とリトリートに参加できるように祈っていました。しかし娘はまだ先のことを悲観しており、リトリートに行くということも当日でなければハッキリしないほどでした。私はただ祈り、その日を待ちました。当日になって「お母さん、やっぱりリトリートに行くわ」と言ったので、娘の運転で掛川に向かいました。リトリートが始まっても、本当に娘の言動にハラハラドキドキさせられました。いやし礼拝の日の朝も「帰るわ。こんな所にいられないわ」と言い出す始末です。私はあわてて元さん(注・スタッフの藤沢 元さん)の所に行って「娘が帰ると言っています」と言うと、「気を付けてお帰り下さい」と言われたのです。私は子羊の群れのスタッフが引き留めもしないので、あっけにとられました。「帰っていいんですか?」 「気を付けてお帰り下さい」 そんなやりとりでしたが、私はどういうわけか納得して娘の所へ行き、「なんかぁ、帰っていいって言ってたけど」と言いました。すると娘は「うん、いいわ。残る」と言うのです。本当に驚きました。主はここでも働かれたように思います。
 そしていやし礼拝が始まりました。娘は中部の合同礼拝できららと一緒に洗礼を受けていたのですが、自分でこのリトリートで再洗礼を受けると決めてさっさと受けました。8月30日でした。娘は真っ直ぐつっぱったまんま倒れました。
 洗礼を受けてから、娘が変わってきました。リトリートの2ヶ月後の10月頃、「お母さん、私、献金したい。神様から言われたから献金をしたいの」と言い出したのです。「保険金では足りなくてどうやってこれから暮らせばいいの、これではKを育てられない」と泣いていた子が本当にたくさんの献金をしたのです。本当にびっくりしました。
 それからというもの、「神様が必ず下さるから大丈夫。この保険金は私がもらったのではなくて、神様が私達に与えて下さったものだから。お母さんどれだけ借金あるの?」と言って私名義の借金を払ってくれたのです。それで借金が無くなって、そのことによって家族全員―母、娘、孫、主人、私、そして息子も戻って来て、母の家にみんなで引っ越し、一緒に暮らすことができるようになったのです。
 話は前後しますが、主人と私のことです。私は主人に対して長い間憎しみを抱いていたこともあって、別居状態でした。ところが、私が黙示録さんびを聞き始めてから状況が変わってしまいました。中部の黙示録さんびコンサートの時のことでした。主人は私達をコンサート会場まで送ってきただけなのに、受付のスタッフが「さあ、入って下さい、入って下さい」と言って下さったので、なんとなく主人も会場に入って来て、黙示録さんびを聞いてしまいました。すると主人は休憩時間に、柱の影でおいおい泣いているのです。それを娘が発見して、娘もお父さんを憎んでいたのですが、「お父さんが泣いている姿を見て、お母さんもお父さんもすごく傷ついていたんだと分かった。なんだかお父さんを許せると思った」と言うのです。私もさんびを聞き続けている中で、いつの間にか主人への憎しみが取られており、主人と一緒に生活しようと思うほどになりました。私が許そうと思って許したのではありませんでした。
 主人は結婚当初から自分の家庭よりも、自分の母親、お姉さんの方がとても大事な人でしたので、私たちはどれだけ寂しい思いをしたか分かりません。言ったらキリがないほど主人への恨みがいっぱいあり、主人の方にも痛みがあるのを知っていました。ですから「みんなで一緒に暮らそう」と言った時、主人が「ハイ」と言ったのでとても驚きました。互いの間の壁がいつの間にか取り去られていたのです。家族みんなバラバラで、私はそれぞれの家庭をグルグル回って身も心もずたずたになっていたのですが、私たちはこうして神様によって一つになることができました。
 これらのことが起こるかなり以前、娘の夫が亡くなった2001年の12月、クリスマスの頃だったと思いますが、私は夢を見ました。夢の中で、私は窓辺で頬杖をついて夜空を眺めていました、星が散らばってとてもきれいでした。すると白い箱に四人の人が乗って、空を飛んでいるのです。「わぁ! どこへ行くのだろう」と眺めていると、私の目の前に来たのです。そして、すごくきれいな虹色の箱を私の前に差し出すのです。「ありがとう」と言って頂いてその箱を開けたら、中から小さいフランスパンがいっぱい出てきました。「あぁ、パンだ、パンだ! 嬉しい、嬉しい! 里枝(注・娘さんの名前)、お母さん、パンをもらったよ」とよろこんでいると、さらにパンがあふれるほど出て来るのです。
 今思うと、フランスパンでなぜこんなに嬉しかったのか、おかしくなりますが、夢の中の私はとてもよろこんでいるのです。その夢を子羊の群れのあるリーダーにお話ししたら、「パンはいのちのパン、神様のいのちのことだよね」と言われました。その時はまだ子羊の群れに出会って数ヶ月後で、言われた意味がよく分かっていませんでしたが、「きっと良いことがあるかも知れないね」と娘と話していました。するとその後、私は何も勧めていなかったのに、母が「私、洗礼受けるワ」と言って洗礼を受けたのです。
 その次に娘が洗礼を受けて、その次に何と私の弟が、続いて主人が受けたのです。息子も突然北海道から電話をしてきて「洗礼を受けるから芦屋に行く」と言って2003年の7月に受けました。後から考えて、あの夢で見たたくさんのいのちのパンは、家族みんなが洗礼を受けるという神様からのメッセージだったのだと思いました。死んだ者が生きた者に変えられる、神様の恵みだったのだと思います。
 主はことごとく良きことに変えて下さいます。主を信じ切ったところに主の限りない愛が現れる。私が良い者であるからではなくて、本当に惨めで何一つ良いところがない者。ただただ私は主の一方的な愛によって生かされ、さんびを携えていろんな人々に主の愛を届ける。私達がそこにいるだけで光が照らされる、なんと主は私達を愛され慈しみ、限りなく私達に誠実を尽くして下さる方か。主の愛があるから立っておられる、主の愛に立って、さんびをみんなに証しすることができるのです。
 主よ、ありがとうございます。まず自分が祈られたいとずっと願っていた者だったのに、今度は、多くの人を祈ってあげたい、という者にされてきました。知らぬ間にそうされてきたのです。私が自分の力で立ったのではなく、神が私を立たせて下さり、助け続けて下さっていました。私には本当に数知れない証しがあります。余りにも多くて語り尽くせない。でも、神様に時が与えられたら一つ一つ語って行きたいと思います。
 風の教会が一日も早く建ちますように。風の教会が建つことによって、主に栄光を帰することができます。
これからは本当に大変な時だと思います。ピーター先生、美津子さんをいやしたまえ、守りたまえ。働き人一人一人の上に、あなたの願いが成りますように。働き人の上にあなたのいやしとなぐさめが充分にありますように、多くの恵みがありますように。全世界に散らばっているリーダー一人一人の上に主のなぐさめがありますように。主よ、あなたの愛と光が一人一人の上に満ちますように祈ります。イエス様、あなたはお金を数えるより確かに存在する方、あなたの栄光をたたえます。
 この美しい地球を守りたまえ。主よ、あなたを愛します。主よ、ありがとうございます。
 主の御名によって祈ります。アーメン。

2007年2月4日


(c)Kohitsuji no Mure Christ Curch