今から十年前のことです。二番目の息子、Kは高校を卒業しても定職に就かず、その後五年間もフラフラと遊びまわっていました。
髪の毛は赤・青・黄色と信号のように次々と染め、引きずるようなズボンをはき、ピアスや鎖をジャラジャラさせて、目はうつろで目つきが悪く、話をしてもまるで宇宙人と話しているようで、毎日私の神経を逆なですることの連続でした。私の家は田舎の旧家ですので、当時プライドの高かった私は大変でした。
その上、主人が勤務している高校にKが通っていて、職員会議では問題を起こした息子のことが取り上げられ、「針のむしろだった」と肩を落として帰ってくる主人に申し訳なくて、私は身も心もズタズタでした。
いろいろな相談所のカウンセリングを受けると「まず息子さんにお母さんがやさしく声掛けして!」と言われるのですが、Kが家に帰ってきても、私は茶髪の髪の毛を見ただけでカーッとなってしまい、とても実践できませんでした。
夜中にも、絶えず遊び仲間から電話がかかってきて眠れない日が続き、だんだん疲れて、あきらめていきました。
もうこれ以上自分が傷付かないために、まずKの顔を見ないように、話をしないようにしました。夜は電話が来ないように寝る前に電話線を抜き、「あの子はもう私の子ではない!」と心に決めることが、当時の私自身を保つための精一杯の知恵でした。
そんな時、私は友達からクリスマス礼拝に誘われて、初めて子羊の群れの礼拝に行きました。何も分からないまま「私はイエス様を信じます。私の内にお入り下さい」と祈って帰ってきた二日目、我が家に一大事が起こりました。当時東京の大学に行っていた長男が行方不明になっていると連絡が入ったのです。彼の友人、知人に連絡を取って探しても手掛かりはありません。私はパニックになってしまいました。
ちょうどその夜、いつも家に寄りつかないKが珍しく帰ってきて事情を知り、取り乱している私を見て「大丈夫だよ、お母さん! 僕が何とかするから!」と、思いがけないやさしい言葉をかけてくれたのです。その頃、私はKとほとんど口をきいていなかったのに、その息子に向かって初めて手を合わせて、「お願いします」と涙を流し、頭を下げていました。不思議でした。
Kは、夜中に車を走らせて東京まで行って、長男を探し出してくれました。私はその間中ずっと手を合わせて、初めて口に出して「イエス様、助けて下さい!」と祈っていましたが、「お母さん、お兄ちゃんが見つかったからもう大丈夫だよ。安心してゆっくり眠ってね!」とKから連絡が入りました。久しぶりに聞くKの優しい言葉に、心底驚きました。
そして、今までの母親としてあるまじき思いがはずかしく、Kに申し訳ない思いでいっぱいでした。
その後、私はピーター先生のインナーヒーリングのテープを聞いてものすごく感動し、「私もこんな神様の世界に入りたい!」と心から思って、初めて参加したクリスマス礼拝から二週間後に洗礼を受けました。私はその後も何も分かりませんでしたが、ただ礼拝に出るのが楽しみでした。賛美を歌って聖餐式をして帰ってくるだけで、不思議なことが次々に起こりました。長男や主人や、たくさんの友達が主に出会い、洗礼を受けたのです。
それからのKの変わり様と活躍は、目を見張るようでした。「私の息子はこんなに良い子だったのか」「こんなにも私の子は優しい子だったのか」と思わされることの連続でした。私は息子の優しさを忘れていたとつくづく思いました。主が思い出させて下さったのです。こんな気持ちになるとは本当に驚きでした。
あんなに言っても働こうとしなかったKが、「仕事をしたい!」と言い出して、心底驚きました。不思議なことに、それから二年間、私の友達の経営している居酒屋でKと二人で働くことになりました。
中学から額に剃りこみを入れたKを、私は「ダメな子」として、ずっとその存在を認めようとしませんでした。そんな中学、高校、そして卒業してからの五年間という長い年月を主が埋めて下さるかのような、楽しい居酒屋での毎日でした。時々、Kがお皿洗いをしている私のそばに来て、「僕らが親子で働いていることをお客さんが知ったら、驚くね、きっと!」と、嬉しそうに言うのでした。
そんなある夜、「お宅の息子さんが飲酒運転で橋桁に激突して窓から放り出されて川に落ち、救急車で運ばれた」と、警察から連絡が入りました。
あまりのことにパニックしている私に、長男が「お母さん、Kの車にはイエス様の魚のシール(「イエス・キリスト、神の子、救い主」の頭文字がギリシャ語の「魚(イクスース)」を意味するところから作られた魚のマークのステッカー)が貼ってあるから、きっと大丈夫だよ」と励ましてくれました。その言葉の通りに、Kは奇跡的に助かりました。
でもKは医者から「後遺症が残るかも知れない」と言われて不安になったのか、自分から「祈って欲しい」と言ってきました。そこで退院した帰りに、渋田さん(静岡地区スタッフの渋田芙美子さん)の家に立ち寄りました。そして包帯だらけの姿で車の中で横たわったまま、Kは渋田さんから洗礼を受けることが出来ました。
Kが歩けるようになってから、事故車の中に入れてある免許証を取りに、私と二人でスクラップ工場に行きました。たくさんの事故車の中からペシャンコになったKの車を見つけると、係の人が「あの車に乗っていた人は死んでいるね!
私は長年この仕事をしているから、車の壊れ方を見ればわかるよ」と言われました。「その人はここにいます」と私が言うと、目を丸くして驚いていました。私とKは主に守られたことを実感して、感動して帰ってきました。
その後、Kが「今日は『モヒカン』にしたいからやって!」と言いました。私は生まれて初めて「モヒカン」という髪型をKに教えられて、お風呂場でKの頭を真っ赤に染め、髪を頭の真ん中だけ残して剃り、鶏のトサカのような髪型を二人で悪戦苦闘して仕上げました。
その頭で一緒に仕事に行くと、居酒屋の板前さんが「今どき、息子の髪をモヒカンにしてやるお母さんはいないでしょう!」と驚かれました。その言葉を聞いて、以前はKの茶髪でさえいやだったのに、今は「何をしてもかわいい」と思える親に主が変えて下さっていることに気が付き、私も驚きました。
その後、Kはいろいろな仕事に就き、その都度、主によって成長させられて変わっていきました。
ある時「一生続けられる仕事を見つけたから、採用されるように祈って欲しい」と真剣な声で言ってきました。早速一緒に祈り、K本人が「祈りのリクエスト」に願いを書きました。また「ピアスの穴を埋めて欲しい」と言うので、私のおしろいで耳たぶを真白く塗ってやると、主人の背広を着て初めてのネクタイを苦労して締め、面接に出かけて行きました。主は願いを聞いて下さって、見事採用されました。その後、収入も安定してきたのか、今年の四月に結婚することになりました。
私は「結婚式は子羊の群れの司式で」と祈っていましたが、「式は二人で海外でやるから、食事会だけにする」と言って二人の計画が進んでいました。ところが式の間際に赤ちゃんができていることが分かり、急遽旅行をキャンセルし、本部にいる姉(本部スタッフの高橋トア子さん)の司式で簡単な挙式をすることになりました。
しかし姉は、「子羊の賛美を式で歌うなら司式を引き受けるが、そうでなかったら参加出来ない」と言い出し、私は困ってしまいました。実は私はまだ、私の親族や相手の親族に、自分がイエス様を信じていることを知らせていませんでした。私は七人兄妹ですが、私の信仰は他の兄妹達にはまだ内緒でした。兄達は姉が本部の働き人となっていることが理解できず、快く思っていませんでした。私はいつもペテロのように「私は主を知らない」というような顔をして皆に合わせていたのです。
そんな時、応答歌「主はピリポ・カイザリヤで」が送られてきました。その賛美は「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか?」とペテロが主から迫られ、「あなたこそ生ける神の子、キリストです」と告白するのです。驚きました。「『あなたこそ生ける神の子、キリストです』と宣言せよ。わたしが責任を取る!」と主が私に語って下さったと受け取りました。決断すると驚くほど不安がなくなり、全てが主によって整えられて行きました。
結婚式では「初夏のアレルヤ」「わたしの鳩よ」「わたしの愛のうちにいなさい」の三曲を、姉と、息子と私の三人で賛美することができ、初めから終わりまで本当に感動的でした。あんなに私が恐れていた兄達も、お祈りして賛美していました。なんの説明をしなくても、賛美で全てが整えられて行きました。
主を告白すると、こんなにも軽くされて、主の喜びの中で、風にされていくのだと思いました。主の和解が成ったと感じました。
喜びの中にいると、次の応答歌「さあ、起きあがって」と「あなたから託された務め」の賛美が送られてきました。「主よ、私に託された務めはなんですか?」と祈っていると、主に出会ってからの十年間がよみがえって来ました。
主が私達家族、特に息子達をこんなにも愛し、いやし、建て直して下さったことを主にお返しすることが、今、私に託された主への務めだと受け止め、思い切ってペンを取りました。
さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。(使徒行伝二六・一六)
主よ、一人でも多くの若者が暗やみから光の世界に、神のみもとに帰ることが出来ますように。十字架の愛といやしが賛美になって、痛んだ若者達に、そして全地に流れて行きますように。アーメン。
尚、Kの子供の出産予定日は12月24日、クリスマスイブです。
2007年7月23日
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