二年前の春、私は持病がひどくなり、一大決心をして、東京のお医者さんに通院を始めました。更年期もあり、自分の想像をはるかに越えた辛い治療でした。
私は魂も肉体もボロボロになっていました。なぜか限界を感じると姉さん(注・信州集会リーダーの大熊二三子さん)に連絡します。本当の姉妹ではありませんが、二人とも顔が似ていて、姉妹同様につきあっています。
その時姉さんは、私の家に来てくれると、「おらば(私は)洗礼を受けてキリストを信じることになった、すげぇー安らかになったんだぞォー」と言うのです。
「ヤソになったんかい?」
「何だ、ヤソって?」
「キリシタンのことさ」
「だけんな、おらの神様は何でもかんでも願ったことを適えてくれるんだぞ。何でも言ってみろ、おら祈ってやるさ!」
そして姉さんが「ボールに水を汲んでこい」と言うのでその通りにしたら、ブツブツ手を合わせ、そのボールの水を家のあちこち(庭も)に撒いて、「これでOK、大丈夫!」と言ってコーヒーを飲みケーキを食べて、さんびのCDを流しながら帰って行きました。「このさんびのCDを流すだけで、このさびれた更年期障害の山ノ内町もいやされるんだぞォー、おめ(お前)のこと祈ってるからなァー」という声が走り行く車の中から聞こえました。
私は家に入って、姉さんの撒き散らした水を拭いて歩きました。これは私たち家族と家の祝福を祈ってくれたのだと後で分かりましたが、体の調子がかなり悪く発熱中だったのに‥‥家に呼ぶんじゃなかった。難儀(大変)な目にあった、と本当に思いました。勘弁カツオ(勘弁してくれ)!!
姉さんの日本脳炎もとうとうここまで来たか、と正直思いました。でも実はその時、私には病気以外にも、姉さんにはどうしても話すことのできない家庭内の大きな問題がありました。
その後、姉さんは美津子さんの「白いハト」のテープを持って来てくれたので、聞いてみました。その後の私たちの会話です。
「おめ、どう思った?」
「(美津子さんは)ハトに会えて良かったさなァー」
「おめ、信じるんか?」
「だって美津子さんていう人、そう言ってただねかい(そう言っていたでしょう)。こんなことも起きるんだっさな。なんせアメリカだもの。何あってもおかしくねえやさ。山ノ内に住む姉さんの所へは絶対にハトは来ねやさ!(来ないよ!)」
私はテープを聞いて、「美津子さんって、すごいね」って漠然と思いました。私は、四十歳頃くらいから神様は信じていました。「イスラム教もユダヤ教もキリスト教も同じ神様でしょう?
マホメットもイエス・キリストも人間だから信じない」と思っていました。「イスラエルの民、神に選ばれた者だけが救われるのって何でさ? それってどうかなァー」とも思っていました。神様は絶対にいらっしゃるということは、何となく日々感じていましたが、それよりも先祖が力を貸してくれるものと思っていました。当時の私は、むしろ救い主を待っているユダヤ教徒に近かったかもしれません。
それからしばらく経った頃、姉さんの家に行ったら、姉さんはちょうど、ハワイでのリトリートから前日帰国したばかりでした。
「昨日ハワイから帰って来たんさ」
「何でハワイに行ったの?」
「おらの信じている教会の、年に一回の集まりださ」
「何で言ってくれないん〜! ハワイに一度行ってみたかったのに」
「観光じゃねえんだゾォー」
「姉さんが集会に出ている間、観光してるからいいんさ」
姉さんは「また今度なァ、誘うなァー」と言って、私にハワイのお土産を一つくれました。姉さんとは近所だけれど、年に一、二回会うか会わないかという感じなのですが、一年後、次に会った時は「宮崎行って来た」と言うのです。その時もちょうど宮崎リトリートから帰って来た直後だったのです(土産はなかった)。
「宮崎も行ったことないから行きたかったのに‥‥今度、誘ってくれるって言っただねかい(言ったのに)‥‥」
「そう言えばそうだったさなァー、わりィーわりィー勘弁な!」
本当は私は、リトリートに参加したいのではなくて、家から遠く離れたいだけの話だったのです。
そしてそれから一年後の今年の夏、二年前の時と同じ持病が再発したことが分かり、私は姉さんにメールをしました。すると「おめ、美津子さん、松代に来るぞォー、『ハトの美津子さん』ださ」と返信が来ました(以下はメールのやりとりです)。
「アー、あのハトの人?」
「そうさァー、おめ、八月三十日の日に来いさ。いやし礼拝があるからな」
「家から離れられるならどこへでも‥‥行く! 行く!」
この時、私は自分の最大の限界に来ていて、「もう自分自身どうやっても無理」って感じていたから、内心「松代に行ってもどうなるものでもない」と思っていました。
その後、姉さんが持って来てくれた「ぶどうの木」八月号の美津子さんの写真を見て、全身鳥肌が立ちました。会ったこともないのに、なぜか「私は以前、この人に会って助けてもらった」という強烈な思いがしたからです。そして「ぶどうの木」はボロボロになるまで読みました。魂に何かがしみました。リトリートには絶対に行こう、行かなければならない! と思いました。
そして八月三十日を迎えました。「昔の私」が死んだ日(洗礼を受けた日)です。まさかこんな風になろうとは、劇的ビフォー&アフター!!
洗礼をされた時、なぜかつぶった目の中がまっかっかでした。美津子さんから「やっと会えましたね」 または、「ようやく来ましたね」と言われた気がします。今、思い出したのですが、「苦しかったんですね。さぞ辛かったんでしょう?」とも言われました。その言葉を聞いて涙一リットル。「もう大丈夫ですよ」って言われた時の心地よさ、気持ちのよさ、安心感、うまく表現できないのです。今もその時の感覚が残っていますが、それはピーター先生が「インナーヒーリング」の中で言われている「インスタント(瞬間的)にいやされた」ということのように感じます。
洗礼後、会場にいた人から拍手をしてもらいました。私だけの為に‥‥その響きがまろやかでなめらかで、やわらかくて優しくて、また涙一リットル。その後のリトリート・コンサートでは、姉さんが隣にいて目をキラキラさせていました。私は音楽はあまり好きではないのですが(苦手、うるさい!
耳ざわり)、さんびの声は耳ざわりがよかったことが不思議でした。音がきれいだった。だれが聞いてもきれいな音だと思います。バンダナを巻いた、魂のきれいな男の人の太鼓の音が魂に響いて、「ツボにはまった」という感じがしました。
その後、家に届けられた洗礼証を見て思わず声を出して泣きました。「Cherise(チェリス) 大切な魂」と書かれていたからです。何年ぶりというくらい久しぶりに、しみじみと気持ちよく泣くことができたのです。喜びの涙は実に清々しくさわやかでした。洗礼の時も涙は出たのですが、泣くというよりも目の上を涙が満ちてゆくというような、今までに体験したことのない涙でした。前者の涙は熱いのですが、後者の涙は常温なのです。目の中から満ちてくる(当たり前)、気がつくと涙がはらはらと落ちてくるというか‥‥静かな静かな優しい涙でした。
例えるなら、洗礼前、私の魂は干ししいたけのようだったのが生しいたけになったような気持ちがしています。魂が本当に正しくゆっくりと静かに元気になってゆくのです(現在進行中)。他にも、洗礼を受けてから感じる変化を箇条書きで上げてみます。
・私の体内時計が正常になった。
・イエス様を信じることができたから本来の自分を知ることができた。
・感情が濾過されて、細胞が感動する。
・心配するけど悩まない。
・自分と話しができるようになった。
・頭で考えないで、心で考えることができるようになった。
・自分がシンプルになり、単純になり、明確になり、簡単になり、あせらなくなり、ねたまなくなり、感情がなぎになり、こだわりがなくなり、軽くなり素直に感謝できる。
・底なし沼のような深い深い淋しさがなくなった。
・恐いものがなくなって、算段(計算)しなくてよくなった。
‥‥言葉にはできないけれど、変わったことはまだたくさんあります。とにかく、日々魂が化学反応を起こし続けている気がしています。
そんな喜びの中にいた九月十二日、私は夕方五時からピーター先生の「インナーヒーリング」を聞きながら、書道の清書をしていました。夜の八時になんとか終了し、書道の先生宅に向かいました。家を出たのが夜の八時二十分、普段は絶対に履かないサンダルをなぜかどうしても履きたくなって、車の運転をしました。いつもの慣れた山道の下り坂をいつものように運転。しかし三番目の下り坂のカーブの手前、私はブレーキとアクセルを完全に間違えました。急加速、曲がり切れない急カーブ、りんご畑に突っ込みたいけど間に合わない。私の車は加速したまま、ガードレールとカーブミラーの隙間から崖に‥‥もうダメ‥‥心の中で思わず叫んだ言葉‥‥「私はこれから交通事故を起こすの? 神様! 事故かい?どうしてさ? 何でだい? 神に出会ってまもないのに?勘弁カツオ!!」
車はガードレールから空中へ飛び出して崖の斜面に落ちて一回転、空中ひねりで車の天井から着地、私はシートベルトから抜けた状態(シートベルトでさか上がりした感じ)で天井に正座!
生きているし動ける!
車は市の清掃センターのゴミ搬入車の出入口にある、大きな門の五十センチ手前に着地していました。幸い、車が崖から落ちるのを目撃していた男の人二人が助けに来てくれたのですが、私は自力で車の窓をあけ、エンジンを切り、ライトを消して外へ出ました。「ケガは? 大丈夫? 本当に大丈夫? どこも何ともないの?」 二人ともお口ポカーンでした。
家、親族、車屋さんにも電話しましたが、皆、お酒を飲んでいるから迎えに行けないとの返事。そこで大熊の姉さんに電話。姉さんも宴会の途中だったのですが、お酒を飲んでいなかったので、義弟(酔っている)まで連れて、さんびのCDを流しながら、宣伝カーのように助けに来てくれたのです。
姉さんは、私の車を見て腹をかかえて大笑い。「おめェー、見事な事故ださな! すげェーゾ、これは! 生々しいやさな! これ、ふんとの(本当の)交通事故ださな! 珍しいもん見せてもらった! イエス様ってすげェーなァー!」
私は案外冷静に興奮してました。困ったとか、怒りとか悲しみとか痛みとか、これからどうしようとかが、全く気にならないのです(だってサンダルを履いたのも、事故を起こしてしまったのも、この私だから‥‥)。
実際私の車は、よしんば朝までひっくりかえったままでも、ゴミ搬入車の支障にはならない位置にひっくり返っていました。そして清掃センターの門もガードレールもカーブミラーも破損なし、つまり全く物損はありませんでした。中から出てきたセンターの職員に状況説明をして陳謝すると、掃除道具を貸して下さったので(何せ清掃センターなのですから、清掃用具も山ほどあります)、義弟、姉さん、私、職員の方二名と事故後の後片付けをしました。センターの外灯があったので、夜にもかかわらず明るく作業がしやすく、路上にこぼれた車のオイルもきれいにふき取ることができました。ゴミはその場に置いていってよいと言って下さいました。しばらくしてJAFの人が到着して車を撤収してくれました。そしてセンターの職員にお礼を言って帰りました。ケガらしきものと言えば、右ひじの、猫にひっかかれたくらいのキズとアザくらいでした。
私にとっては初めての事故なので、どのくらいなものかも分からないのですが、車の状況からするとかなり悲惨な事故だったらしいのです。「死んでいてもおかしくないし、重傷を負って救急車で病院に行くほどだったんだけどなァー」と皆が言うのです。その後、事故の時にはがしてしまった清掃センターの芝を直したり、レッカー代、廃車登録料などその他もろもろを支払ったのですが、保険が戻ってきて、結局一万二千百六十四円の収入(?)となりました。私の車は廃車になってしまったので、新たに購入しなければならなかったのですが、今年長男が車を買ったため家に置いてあった前の車を、そのまま頂きました。
この事故はみんなが笑うんです。保険屋さんも車屋さんも知人も、「よかったね〜、吉本興業みたいださなァー」って。これって神の証しなのでしょうか?
とても不思議な体験でした。
どうしてあの事故をイエス様が私にプレゼント(?)してくれたのか分かりませんでした。姉さんは「イエス様が救ってくれたのだから」と言ったけど、イエス様が何を私に伝えようとなさったかがどうしても分かりませんでした。でも今回、こうして文章にしているうちに、いろいろなことに気づきました。イエス様は本当の私を取り戻す、粋で過激な、私にぴったりのセレモニーを用意して下さった。あの事故で古い私を叩き壊してくれた(つぶしてくれた)のだ。無傷で、損害もなく、再出発の支度金まで支給してくれたのだ(あの残金で姉さんと喫茶店で宴会して、ピザ食べ放題!)、と。
神様は事故を通して「もう『田中由美子』という営業をしなくていいのだよ」と言って下さったような気がします。
それはどういうことかと言うと、私は子供の頃から激しい人間で、また自分が子供のくせに子供がきらいでした。話しが通じないからです。人と感性が違うから生きづらかった。本当の自分を出したら人に嫌われると思っていたから、結構人にも親にも合わせていました。「みんな違ってみんないい」と詩人の金子みすずさんは言っているけど、世間はそんなもんじゃありませんでした。息苦しかった。酸欠だった。とりつくろうことが多かった。うそも多かった。今分かるのですが、本当の「私」はその辺にあまりいない人格です。
人が苦手で考えつかないことが私にはたやすくできるから、人にすごいと言われるけれど、人が簡単にできることが私にはすごくむずかしくてできなくて、ずっと悲しかった。感覚で生きているので、世の中の常識が理解できない部分が多々あって疲れていました。「インナーヒーリング」の中にあるように、もっと自分を愛してほしい、分かってほしくて、だから何でもがんばって一生懸命しました。ごほうびがほしかった。両親に私だけを愛してほしかった。でもそんなことを五十年もしていたから、魂がボロボロになっていたんだと思います。肉体のボロボロは目に見えるけれど、魂のボロボロは目に見えない。
あの事故で車は私の身代わりとなり、ボコボコにつぶれました。今回これを書くことによって、本当の自分がよみがえって「私」が本当の私になったんだと、確信できました。あの事故現場は私だけのための聖地だという思いがするんです。
神様、事故をありがとう。感謝!! けれど‥‥これからはもう少し軽いメッセージを、と思っております、という感じです。あの事故は過激で、強烈でこりごりで、笑えます。もう少し時間が経ったら、心からイエス様にお礼を言いますね。
主のもとに行くまで、私は私の与えられたものを大切に真面目にあせらずに、順序よく、心身最小限に質素に静かに、清潔に、物にこだわらず、騒がず、生きてゆきたいと思います。腹がくくれた。
疑うことなく、単純に信じることができる今に感謝。
2007年10月10日
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